Beijing 3/15-3/20

3/15

今日も青空だった。特に授業もなく、家事をしたり言語交換の相手を探しに行く。

 

3/16

4時間続きの授業から宴会のようなものに参加する。スコッチウイスキーを頂く。大瓶。飲みきれないので今度友人と分けようかな。こちらに来てから、私の日本での所属大学に留学したい人によく相談される。中国の美術事情にあまり詳しくないのだが、校風なのかわからないけど、学内の作品は具象かつ古典的なものに偏ってる気がするな。そのせいなんだろうか。うちの大学に夢を持ちすぎるのは心配だけど、わざわざそこに口を出すこともない。というかとりあえず一回外に出たいよね、わかる。それに中国の大学は院に行く枠が少ないのだっけ。ひとまず分かる限り伝える約束をする。

 

3/17

友人たちとMarc Quinn(中国表記:马克・奎恩)とBruno Walpoth(布鲁诺・瓦尔波特)を見た。会場の中央美術学院美術館へはバスで向かう。クインの展示は、虹彩、指紋、DNA、と題材が題材なので、つい異邦人らしく一瞬この国の身分認証システム等々を思い浮かべてしまったけれど、キャプションのどこにもそれらしきことは書いていなかった。書かない方が逆にポリティックに見られそうだけども。パンで作った彫刻作品も多く、近づくとしっかりパンの香りがする。

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《Innoscience (纯真科学)》2004

その後、友人の家に遊びに行くというので付いていったらそこもまた展示会場だった。住人に一つひとつ説明してもらう。物と物の関係から新しい意味を提示したり、地域の再開発にまつわるアーカイブ冊子にニコラ・ブリオーを引いたり、言葉と国は違うけれど同世代の感覚の近さを感じる。ただそれらよりも、生活用品に紛れるほどさり気ない作品にも体制批判の意味を持たせていたのが印象に残っている。シェアハウスや自室で作品を展示し、半クローズドで人を招くという形式は、日本でもよく美大生がやっている形式だし、自分も関わったことがあるけれど、社会が違うと全く意味合いが変わってくるな。北京での作品発表や表現の事情にまだ詳しくはないけど、来たばかりの人間にも網のようなものは見える。頭上に架かった半透明の網の中で影に潜りながら意志を持って制作すること。北京のアパートの洞穴のような廊下を抜けた先で、同世代の学生たちの活動を垣間見られたのはうれしい。

 

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アパートの廊下 壁の番号は広告

3/18

言語交換してくれるという女の子とご飯をたべる。相手の日本語レベルと全然釣り合ってないけど大丈夫なんだろうか。中国にも「指切りげんまん〜」に相当する歌があるらしい。「拉钩上吊一百年不许变」。英語圏もだけど、どうしてどこも小指を使うのだろう。

 

3/19

急にVPNがつながるようになった。やはり時期の問題らしい。あと実は北京でも普通に日本の漫画配信アプリは正常に動くんですよね。推しの人生の描写に打ちのめされているのでしばらく言及できません。

 

3/20

継続的に同じ先生の授業に出ていると、徐々にその方面の単語や言い回しが普通に聞き取れるようになってきていて感動する。墓葬とか遺址とか随葬品とか、そういうのですが…

スモッグは来た時と同じくらい強くなってきた。またマスクが必要になってきて悲しい。今日も苺が安くてうまい。